■略歴・私の青春の門
番外・略歴
世代的には、まさに、五木寛之氏の「青春の門」を読んで夢中になった年代です。
少年時代は、「ラジオ製作」の工作に興味を持ち、電子工作好きな、アマチュア無線少年でした。
当時のハム (アマチュア無線)のコールサインは、「JR1XDG」です。
もちろん遠の昔に失効していますが、今思えば、アマチュア無線の面白さは、インターネットで、いろいろな人と知り合う面白さが共通しています。
その後、進学校の高校に入り、某国立大学の理工学部を目指しますが受験失敗。(×_×;)
高校時代は「マンドリンクラブ」でマンドリンオーケストラの指揮者をやっていました。
その関係で、マンドリンではなく、本格的なオーケストラを聞き出すようになります。
クラブ活動に熱中しすぎたのも受験失敗の要因の一つかもしれません。
合格した私立の理系大学の工学部で電子工学を学ぼうと進学を決意した時、
家庭内に “いろいろ” あり、事情があって家を出ます。
自立してアルバイトで進学を試み、頑張ったのですが、結局のところ生きていくだけで精一杯。
大学での勉強は叶いませんでした。
アルバイトの延長から今の職場に至るまで “人生いろいろ” 有りまして、ずーっと飲食畑で生きてきました。
ご縁があって、某、高級、「会員制バー」に20歳から10年勤務。
この店は、政治家、財界の大物、省庁の高級官僚、国立大学の教授、文人、芸術家、芸能人、
名前を聞けば誰でも知っているような、大物、著名人の方々も多くの人が来店する、高級「会員制バー」でした。
バーテンダーでなければ、お会いすることなんて、絶対にありえない、
著名人の方々と知り合いになる事ができ、いろいろな人に可愛がっていただきました。
今でもご活躍の芸能界の御意見番、「和×ア×子」さんには、ゲイバーに何度も連れて行ってもらったこともあります。
( ^_^)/□☆□\(^_^ )!
このあたりの自分史は、自分にとっての、「青春の門」の時代です。
新宿五丁目のアパート住まいで、一年365日、毎晩と言っていいくらい、新宿ゴールデン街に飲みに通っていました。
そんな時期、勤務先のお店の名物オーナーが高齢であることで、この店を閉じる事になりました。
お客様でもあった、某・麦酒会社のS部長が、
「小林君、これから先、どうするの?」と、私の行末を案じてくれて、
某・有名麦酒会社の外食部門会社に就職斡旋してくれて入社。
いわゆる中途採用のコネ入社。就職氷河期の今なら多分ありえません。
進路が決まったところで、それまで付き合っていたカミさんと結婚。
某・有名麦酒会社とは、名前を言えば誰でも知っている日本での麦酒シェア1位2位を争う、某大手ビールメーカー。
・・と言ってしまうと、KかAしかないのですが・・(笑)
ちなみにその時のS部長さんは、その後、社長にまで出世されて、ビール酒造組合の会長も勤められました。
私を引っ張ってくれたS社長のご活躍は、私自身すごく嬉しかったのものです。
ビール会社経営の飲食店はたくさんあります。
洋食、日本料理、麦酒メインの居酒屋・・、いろいろなお店で仕事をしました。
私自ら調理師、料理人でもあります。
ビール会社から転職して、一時、「蕎麦と地酒」専門の居酒屋を経営していたこともあります。
その後、“いろいろ” 有りまして、全く、畑違いの職業につくことになってしまいました。
そして今に至ります。
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