■出身・仕事等のプロフィール

2012年8月20日

私の生い立ち、略歴に興味が有る方だけに公開します。

ページ概要

略歴プロフィール

千葉県出身。1956年生まれ。
育ちは千葉県、生まれは、福岡県大牟田市。 母は福岡県、父は熊本県出身。
幼い頃、二歳年下の巨人軍の原監督と同じ大牟田市のT社の社宅に住む。
原監督のお父さんはT社の社会人野球に所属しておりその後高校野球の監督になる。
後に知ったのだが、阪神タイガースの選手、その後の監督、真弓選手も同じ社宅だった。

父の転勤と共に、千葉県に引越し、幼少から18歳まで千葉県で育つ。
少年時代より電子工作、科学好きで、アマチュア無線の免許を12 歳で取得。
今思うと、インターネット&パソコン好きな素養はこの頃作られた。

13歳、中学一年の時、リアルタイムでアポロ11号が月面着陸をする様子を白黒TVで父と見て感動。
その時、ヒューストンの管制基地とアームストロング船長の無線のやり取りの中で出てくる、
「ピー」っという送受信切り替えの信号音を出す電子装置を作り、自作無線機に搭載するほどの
電子工作マニア少年だった。
一方、「禁じられた遊び」が弾きたくてギターにも熱中。
中学時代は部活で体操部に入り、鉄棒と床運動が得意だった。
三十歳くらいまでは酔っ払うと道端でも、通称、「バク転」、「バク宙」(←正式名称・後方倒立回転とび、後方宙返り) が出来た!
今は若干メタボなおじさんだが、当時はマッチョな逆三角形の体だった。

14歳の時、大阪万博に中学二年で一人で出かけ、アポロ11号が持ち帰った月の石を観るが、
月の石よりも、電電公社館のパビリオンで公開されていたワイヤレスの携帯電話に惹かれる。
ワイヤレスの子機型電話機で千葉県の実家に電話した方が印象的。
1970年当時にはコードレス電話機は世間には存在してなかった。

16歳、高校は進学校で理系に進む。
某国立大学の受験に失敗。

滑り止めの某理系の私立大学に合格。
その大学で、電子工学・情報工学系の勉強をして、
安穏と学生生活を送ると思っていた矢先、19歳の時、突然、母が亡くなるという、
私にとって、人生を変える衝撃的な一大事が起きる。

母の死の背景にあった要因で、父を逆恨みし、家庭崩壊する。

母が亡くなる経緯については、人に語れない思いがある。
母を救えなかった自分への思いがトラウマとなっていて、私の心から生涯消えることがない業を背負う。

当時、心の支えになっていた、大好きな、寺山修司の「家出のススメ」どおり、
19歳の時、「書を捨てよ町へ出よう」と僅かな小遣いを持って家出。

これで、人生、面白くなるが、苦労の連続でもあった。

そして意外な方向へ歩み出す。

母の死についての父への思いから、彼とは、私が結婚して家庭を持つまでの15年間ほど、
相容れない冷たい関係が続く。
自分自身が40歳という、いい大人の年齢を過ぎた頃、赦せなかった父の思いも理解できるようになり、和解する。

20歳代は新宿区民として歌舞伎町すぐ側に居住、バーテンダーで生計を立てる。
素晴らしい住環境?のおかげで、この頃、酒に目覚め、毎晩ゴールデン街に出没。(笑)
行きつけのバー、「サーヤ」、「ペンギン村」、「クラクラ」、
「シャドウ」、「前田」、「百々」、「パインツリー」、、
友人は飲み仲間ばかり。

携帯電話のない時代、私を探す友人は酒場を巡った。(笑)

1年365日、深夜は必ず、これらのどこかの店のカウンターに座ってウィスキーを飲んでいた。
毎日夜明け近くまで飲んで、お昼ごろ起床する、昼夜逆転生活を9 年続ける。

ゴールデン街側の「唐十郎」の花園神社の赤テントが建つと 必ず観に行き、
新宿三丁目の「末広亭」には、週一のペースで通い、落語にハマる。

新宿文化にどっぷり浸かり、作家「椎名誠」 に傾倒。
椎名氏の“怪しい探検隊”の仲間、大田トクヤ氏経営の居酒屋、「新宿池林房」で
何度も椎名氏、沢野ひとし氏を見かけ感激酒を飲む。
この頃、80年代サブカルチャー文化に興味を持ち、「東海林さだお」、「嵐山光三郎」、
糸井重里」らの世界にハマる。

31歳結婚、転職、再就職
結婚式披露宴を友人が勤めていたパレスホテルという、皇居側の一流ホテルで行うが、
出席者のメンバーが酒場のマスター、ママさん、オカマさん、、
常軌を逸した個性派飲み助が大勢来てくれたので、我々新郎新婦の両親がタジタジになっていた。

「料理は科学」。 料理の科学と面白さに目覚め、大手ビール会社の外食部門で飲食店に勤務。
この頃は「北大路魯山人」、「立原正秋」、「伊丹十三」に傾倒。
職場でも意欲的に料理を学び、調理師として六本木のチェコ料理レストランを皮切りに、
フレンチ、イタリアン、日本料理、ビアホール、居酒屋、、様々な飲食業態を経験。
33歳まで横浜住人として暮らす。

その後、都市再開発の会社I社より、飲食店経営の依頼を受け、転居、転職
茨城県土浦市で手打ち蕎麦と地酒専門の飲食店経営を3年経験。
36歳の頃、学生時代の先輩に、外食産業の会社立ち上げ&多店舗展開の話に誘われ、
千葉県我孫子市に転居、転職。
この後、紆余曲折を経て、42歳で全く畑違いの不動産の世界に転職。
現在、「宅地建物取引士」として零細会社勤務。

今、“特に秀でた能力も無い” “普通に?” 高くない月給取りのお父さん。(^^;
カミさんと息子(平成10年生まれ)の三人家族。

以上が、略歴プロフィール。

 

一番の趣味、云うまでもなく、インターネットで稼ぐこと!

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Posted by コバヤシ